● はじめに

 フィリピンミンダナオ島北コタバト州ピキットでは、長引いた紛争の影響で多くの子どもたちの命が失われました。生き残った子どもたちも心に大きなストレスを抱え、それを癒すのは容易ではありません。また、マニラ首都圏の路上や線路沿いで生活する子どもたちの多くは、虐待や家庭崩壊、麻薬や暴力と背中合わせの厳しい環境に置かれ、誰にも頼ることもできず、日々自分で衣食住のニーズを満たして生きています。

リサール州の山奥の集落サンイシロでは、雨季になるとドゥマガット族の子どもたちは、薄暗い早朝から3時間かけて、毎日泥の山道を裸足で通学します。ミンダナオ島ジェネラルサントスのブラアン族の子どもたちは、十分な食事を家庭で取ることができず、空腹のために通学意欲を失っています。そして、家族の必要を満たすように、子どもたちも農業労働に従事し、学校に毎日通える子どもたちは多くありません。

多くの死者が出た自然災害でなんとか助かっても、避難所で最初に命を落とすのも子どもたちで、生き残ってもその社会的、精神的苦痛はその後の長い人生の間、続いていきます。身体的な障がいを持つ子どもたちは、無理解な人びとから差別を受け続けています。また、親がよりよい生活を求めて海外に出稼ぎに行き、国に残される子どもたちは増える一方です。そして、ごみ処分場周辺に住む子どもたちは、今日も病気や危険と隣り合わせの生活を送っており、命を落とす者は後を絶ちません。

私たちICAN(アイキャン)はそのような子どもたちと、1994年から現在まで活動を続けてきました。社会的弱者である子どもたちの状況は、同時に私たちの社会状況を表す鏡とも言えます。現在の世界構造のゆがみは、フィリピンをはじめ所謂「南」と呼ばれている国や地域に住む子どもたち、そしてその中でも弱い立場に置かれている「危機的状況に置かれている子どもたち」を政治的にも社会文化的にも経済的にも、危機的な状況に追いやります。

しかし、そんな「危機」の中を、多くの子どもたちは、傷つきながらも戸惑いながらもたくましく生きています。子どもたちは、自分なりに自分や愛する家族たちの置かれた状況をなんとか改善しようとしています。子どもたちはまわりの大人たちや出来事をじっと見つめており、それらを自分なりに説明する言葉をもっています。子どもたちには希望があり、夢があります。お腹いっぱい食べる夢、生活に苦しむ両親に楽をさせる夢、学校に通い勉強する夢、家族揃って楽しく暮らす夢。ただ子どもたちの声は、社会的に価値を置かれず、大人たちは子どもたちの語りに耳を傾けることをしません。多くの人にとって、このような子どもたちは、「貧しく」、「可哀想」で、「助けを待っている」存在、ときには「わずらわしく」「邪魔な」「汚い」存在に過ぎません。多くの開発機関にとっても、「援助」の「対象」や「受益者」でしかありません。

一方で、このような子どもたちを主体的な存在として認めようという動きも世界各地で少しずつはじまっています。この地球上の約1/3の人口を占める「子ども」を弱い、受身な存在と見るのではなく、社会を構成する積極的な存在として捉え、その経験を重要視する動きです。ここでは年齢や性別、経済的地位や身体的条件、出身階層等に関わらず、生活を左右する決定に「参加」し、住みたいと思う世界を築き上げることに「参加」することは人間の、そして子どもの権利とされています。これがユニセフやICANのようなNGOが推進している「子どもの参加」と呼ばれるものです。

 (元)路上の子どもたちが自分達の経験を振り返り、分析し、表現し、多くの人達と共有し、その声が大きくなるにつれ、人々の路上の子どもたちへの対応は変わってきます。政府の路上の子どもたちへの政策が路上の子どもたちの視点からみてより適切なものに変わってきます。路上の子どもたちを生み出すより根本的な原因に働きかけ、多くの路上の子どもたちの生活を改善することができます。また、学校のカリキュラムを紛争地の子どもや先住民族の子どものたちの視点に立ったものに変えていくこともできますし、村役場の計画に子どもの意見を取り入れていくことなど「子どもの参加」の可能性は無限大です。

人類の歴史をみると、社会は経済的・社会文化的、政治的に力のある人の価値観に大きく影響を受けた形で作られてきました。一方、子どもたち、特に危機的な状況にあるこどもたちや女性等、「比較的力の弱い」人たちは自分たちの経験を振り返り、分析し、自分たちの「現実(Reality)」を表現する能力をもっているにも関わらず、社会に参加することが阻まれてきました。その権利としての参加が阻まれた状態こそが、社会の中の「貧困」や「差別」等、社会の中の様々な非正義・不公正というものを生み出している原因でもあり、結果とも言えるのではないかと私たちは考えています。

「こどものこえ」を大きくしていく活動(=子どもの参加)とは、与えられるはずであった「参加」の権利を取り戻すプロセスであり、社会の中で力を出し切れない状態に追いやられていた人達が自分の力を回復するプロセス(「エンパワメント」のプロセス)でもあります。またこれは、当事者である子どもたちが「貧困」などの非正義・非公正を主体的に解決していくプロセスです。つまり、「こどものこえ」を大きくしていく活動は、手段でもあり、それ自体が目的ともなります。

私たちが活動を進める過程で感じてきたことは、このような「こえ」をあげる子どもたち、そしてその「こえ」に耳を傾け、社会の中に反映させていく大人たちが出会うスペースの圧倒的な欠如でした。そのような問題提起に立って、本書ではまず子どもたちが共有してくれた経験に耳を傾けることを、皆さんとともにおこないたいと思います。そして、同時に以下の副題の意味について考えていくことができればと思います。危機的状況に置かれた子どもたちの生活が向上するためには「こどもの『ために』考え、行動するのではなく、こどもと『ともに』考え、行動する」という私たちの振る舞い方の転換が求められているように思います。

危機的状況にある子どもの「ために」
何かをするのではなく、

その子どもたち自身が声をあげ、
その「現実」に基づいて、
「ともに」社会を変えていくために。


クリスマスムードが漂う200710月マニラにて

(特活)アジア日本相互交流センター・ICAN
I-CAN FOUNDATION PHILIPPINES, INC
スタッフ一同

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